2011/07/16

濁れる水の流れつつ澄む

子供を連れて車で30分ほどの所にある川へ泳ぎに行きました、周囲の石が茶色になるような鉄分の匂いする水ですが、そこらのプールの水よりはいろんな意味で確実にキレイです。人工的な堰のあるところですが、滝に打たれて身を清めたあとはこの企画の真の目的を遂行します。
この先180オーバーフローや120Hの製作をするにあたり、直感を鍛えるために川の流れの中での石組をやってみました。素材は当然足元の石、手に取っていつものような三尊を組もうとしても親石を置いた時点で次の石を置くことを拒まれる。いや、もはや親石を置くこと自体が自然の意に反するように周囲に点在する石と流れが合わないのだ。これは今までの自分の理念を覆すとんでもない事になりそう、改めて周りの石の向きを入念に1個目の石を置く、今まで直線だった川の流れが石の周りで激変する、水槽ではそれをイメージしながら置いていたけど、これは想像以上の現象だった。

超自然的な手法は誰もが水槽に持ち込もうとするだろう、ただきっとありのままの石の配置ではなぜか水槽内ではつまらない物になってしまう、それは川にある石はその周辺の全ての石、水、草、風、音、匂い、すべてが絶妙に絡み合っての存在であり、その一部だけを水槽に持ち込んでも意味がない。例えばその川の砂は大小いろんな色の小石が組み合わさって構成されているのだが、その砂を採取して水槽に投入したところで非常に安っぽい印象になってしまうような気がする。
結局自分が置いたのは最初の1個だけ、それもとてもじゃないが納得できる配置ではなかった。その後は川砂の様子や葦の茂みをたっぷりと観察してきました。非常に収穫が多かったです。

底砂ひとつでも印象にはかなりの影響力があります、結局下草で隠してしまえば良いのですが、この川を見るとそれは「逃げ」ではないのか?と思ってしまうほど自然は完璧。やはり「過剰演出」無しでは水槽水景は物足りないものになってしまうのでしょうか?その答えの一つがこれから創る2本の水景でわかることでしょう。