2011/09/29

明日からはまた熱帯魚屋

何かを得るための一日にしたかったので、出発前にゴローさんのフェザーを首から下げて出発しました。今日は熱帯魚屋の仕事ではなくもう一つの親父から受け継いだ仕事をする日。そしてもう一つ、あるラーメン屋さんのウェブサイトを作ることになったので、その店主様のラーメンに対する意気込みを聞くために開店前のお店に伺いました(無事に完成したら詳しくご紹介します)。自分の為以外にウェブサイトを作る事はあまりしないので、ものすごいプレッシャーを感じるのですが、こういう機会を与えてくれた事だけでも感謝、すべてにおいて完全燃焼させていただきます。
目の前に出されればものの10分もしないうちに腹に収まってしまう料理、それに対する情熱が半端ではない、どう書いてよいのかわからないけど「食う側と作る側の真剣勝負」みたいな世界。本来表に出してはいけないであろうそのレシピを詳しく教えてもらい、その想いをストレートに受け止めるべくラーメンを注文、普段は気さくな店主が厨房に立つと同時に無口になり麺を湯切る。真剣な顔で働く男の姿は例外なくクールだ。いつもなら空腹を満たすための事なのに、想いを理解するために食うという初めての体験、スープを一口「ヤバイ」。料理としての美味さは当然として、舌に感じる味を追うように聞いたレシピの内容が脳裏に展開する。それはよく雑誌などに書かれているような「まろやかでコクがあるけどしつこくない…」といった食べた側の感想を聞いて食したのとは全く別物、作り手の苦労が伝わる分だけ感動が多かったし、何一つ先入観なく味わう事ができたと思う。
最後のスープを飲み干した後にハッっとした、一つの器の中にあらゆる物が混在していて、それが絶妙なバランスで組み合わさっている…これって水槽と同じじゃないか、どれか一つが良くてもダメなんだ、一歩下がって全体を冷静に見つめる事ですごいものが出来るんだ。

午後は子供と海に出かけた、足元の30cmしか水がないような所に魚や貝などの無数の生き物が暮らしていた、電気も化石燃料も使っていないのにコレだけ多様な生物を抱く海のすごさに改めて感服した、何十万円もかけて作った水槽ではいとも簡単に病気がでるのに…。神様が何億年もかけて作りあげたアクアリウムを人間が容易く真似するなんてナンセンスなのかもしれない、それでも挑戦するというのなら、参考にするのはそのシステムではなく懐の深さなのではないか?

胸に下げたフェザーに手を当てて心に誓う「もっと自分に素直になれ」迷い、悩むのはあたりまえの事。大切なのは目を背けない事。