2013/03/30

勝負の分かれ目 気持ちの区切り

大阪三連覇ならずか。主力選手をケガで欠いていたとはいえ意外な結果だった。選手達のプレッシャーもハンパではなかっただろうな、ゲームセットの直前のプレーがそれを物語っているように思える、あの瞬間彼等は野球を楽しんでいただろうか?敗北後の自分等の置かれる立場にひたすら怯えていたのではないか?試合を観る側にも何らかの責任があったのかもしれないな。

百ヶ日の前日だった昨日、甲子園が好きだったおじさんの家の水槽のメンテナンスに呼ばれた。生前であればこの時期間違いなくテレビには高校野球が映されていて、その前に置かれた椅子には白熱のプレーに一喜一憂するおじさんが座っていたはず。でも今は画面は暗く、誰も座っていない椅子がぽつんと置かれているだけだった。その部屋はあまりにも静かで、人間一人いないくなっただけでここまで空気が変わるものかと思った。

変わるのは残された人の生活もある。奥様は葬儀の後からほとんど家から出ていないらしい、それは喪に服していたというのもあるが、俺には分からない気持ちの方が大きいらしい。俺が妻と約束している事の1つに妻よりも長く生きるというのがある、俺のいない生活に耐える自信がないのだそうだ、看取る悲しさも味わいたくないらしい。別れはどちらも悲しいとは思うが、先のほうが楽だというならそれでいい、俺は一人でも生きていける自信があるから(という事にしておこう)。

残された人を悲しみから救うのは家族や知人、友人の役目だと思う。そんな事を考えるのは水槽が掃除をするほどの状態ではなかったから…かもしれない。