2021/03/24

98.シュークリーム

ケーキ1ホール余裕で食える激甘党の私にとっての最高のお菓子は「生クリーム」である。

ケーキとかではなく、生クリームそのもの。

そして、そんな私の夢を叶えた奇跡のシュークリームがセブンス近くの洋菓子店にある!

それは生クリームだけのシュークリーム、いわゆる生シューというやつで、甘さが絶妙のあっさりした生クリームがたっぷりと挟まっていて、上下のシュー生地は自らを一切主張してこない柔らかさで、生クリームの引き立て役に徹している潔さ。

ちょっとしたお祝いの時や、気分が落ち込んだ時は奥様に頼んで買ってきてもらって店で二人で食べた。150円で幸せになれる、何も贅沢はできないけど不満は全く感じなかった。

もしかしたら7番目よりも、もうちょっと天国に近いのかもしれない。

2021/03/23

97.パチンコ必勝法

毎月やって来る取引先への支払い期日、これが本当に憂鬱だった。どうしても1万足りない…そんな時はレジの釣り銭をかき集めて勝負に行った時もあった。

完全に病んだ俺はパチンコ雑誌の広告に出ている必勝教材に手を出した。今はまず無理だろうけど、その頃のパチンコ台は運以外で当てる方法があったのだ。

似たような広告が並んでいて、10万円を越えるものもあったが、俺が買えたのはせいぜい3万円の教材だった。支払いは1年ローン。

それでも期待に胸を膨らませて、毎月の憂鬱から解放された生活を楽しみにしていた。

届いた教材は菓子折り程度の大きさで、中には薄い冊子が数冊と、安っぽいカセットテープが数本入っていた。冊子は初歩的な釘の見方の参考書、それとグラフの書ける収支表で、カセットテープはその参考書を音読しているだけのもので、期待していた「打法」に関する記載は一切なかった。

1年かけて3万円のローンを返済し、右肩下がりの収支グラフを完成させた末、アホらしくなってパチンコを辞めた。

すっかり浄化された今から見て、ギャンブル依存性のカウンセリング料と思えば3万円は格安だったと思う。

2021/03/22

96.親として

本当に運良く二人もの子宝に恵まれて、誰もが受ける親としての試練を乗り越えて、無事にある程度成長した。

二人もいれば少なくともどちらかが「魚飼ってみたい」と言ってくるだろうし、そうなれば英才教育か、もしくは自由に子供らしく楽しませようか?なんて悩んでいた時期もあった。

見事に完全スルーされた。

2021/03/21

95.幻の最終回

「いい石だしてるツアー」には未公開でお蔵入りになった最終回が存在していた。なぜ「いた」なのかは後に説明する。

その内容は当時小学生だった息子と原付二人乗りで佐渡ヶ島を一周した時の話で、集大成に相応しいものだった。

旅が終わってすぐさま描き始めていたのだけども、その頃は別の件で受けた挫折ダメージがあまりにも大きく、全体の1/3程度まで書いたところで手が止まってしまった。

その後は短い文章を書くのが精一杯で、それは今でも元に戻ることはなく、以前のような壮大な旅日記は書けないんじゃないかと思う。

それでも時が来たら再開しようとデータは保存してあったのだが、成長した息子がそのパソコンを部品取りとして解体してしまい、最終回は見事に幻となったわけだ。

忘れ物を取りに行くなら、今度は二人乗りではなく二台に跨って行くんだろうな。

2021/03/20

3月21日(日)の営業について

3月のADA商品ご注文受付最終日です、来月からはお電話でのご注文ができなくなりますのでご注意ください。総額5000円以下のご注文は商品お渡し時のお支払いで結構です、5000円以上の場合はご注文時にお支払いください。

その他の注意事項に変更はありません。

営業時間は9時から12時までです。

2021/03/19

94.参考にならない経営論

ある時期を境にヒマな時間を遊びに費やすようになった。おそらく常連さんに貸してもらった「世田谷ベース」の本に出会ってからだと思う。

自転車や原付バイクのカスタム、ミニ四駆とラジコン、店の内装を自分で手掛けるために恵比寿まで買い出しに行ったりもした。

店の床はオイル染みだらけ、いつも何かが焦げた臭いがしていて、とてもじゃないけどナチュラルリラクゼーションの気配すら感じられない空間だった。

でも、この頃が最も多くの人に慕ってもらっていたのも事実。理念が変わらなければセブンスは地元でも屈指の繁盛店になっていたと思う。

まぁ、後悔はしていないけど。

2021/03/18

93.道程

アクアリウムショップを立ち上げると決めたのが高校3年の春。実際に開業したのが20歳の夏。その3年間は全速力でフルマラソンを走っているような毎日だった。

ゴール地点は決まったけど、何をすれば良いのか見当もつかなかったので、まずは学校に許可をもらって地元のアクアリウムショップでバイトをすることにしたのだが、最初から問題発生で、まず自分の学校は夏休みしかアルバイトを認めていなかった。

そこで生活指導室に行き、将来のビジョンを熱心に説明すると、成績を落とさないことを条件に認めてもらった。

すぐさまショップに行ってバイト受け入れを頼んだのだけども、今は必要ないと断られてしまった。

店の外に出たものの、何か伝えきれていないような気がして、再び店に入り「バイト代要らないんで!」と頼んだら週末だけ雇ってもらえることになった。

卒業も近くなり、進学先をアクアリウム関連の専門学校に決めていたのだが「学費を払ってタダ働きさせられるだけだ」という率直なアドバイスに従って、バイトを続けながら地元の会計専門学校に通うことにした。

明確な目的を持って臨む専門学校生活は充実していた。卒業のための必須科目や取得検定に関しては、学校に直訴して自営業に必要なものに変更してもらった。まさか法人税法まで実践することになるとは思っていなかったけど。

実はこの専門学校生活には「結婚相手を探す」という重要な目標が隠れていて、何故かと言えば、失礼ながらアクアリウム業界で、さらに自営業ともなれば出会いの機会など皆無同然で、出遅れるぐらいであれば学生のうちに決めてしまおうと考えていたのだ。

なので、彼女(奥様)には交際一週間で「結婚前提です」と伝えてあった。意外に聞こえるかもしれないけど、ショップを立ち上げる覚悟に比べたら屁でもないレベルだった(奥様にとっては不運としか言いようがない)。

以上の話はそれでも順調に進んだ方で、一番の壁が「父親」だった。我が家は祖父、父の代と非常に真面目な職業で、姉二人の最後に産まれた待望の長男であった自分は当然のように同じ仕事に就くことになっていたらしい。それがどう間違ってか熱帯魚屋なんぞ目指すと言い出したものだから、将来の話になるたびに喧嘩になっていた。

実は中学3年の時にも同じような事があり、目指す職業は違えど、自分の可能性を否定されて夢を諦めていた。そんな父親が嫌で高校時代は家出同然になり、ずっと一人暮らしをしていた。

だから今度こそは諦めてたまるかと、必死に食らい付いたのだけども、戦況は不利なまま変わる事なく、勝手にアルバイトを始めていたりしていた。

風向きが変わったのは専門学校2年目の時で、急に父親が協力的になり、何が起こったのか探ってみると、父親の先輩やばぁちゃんが裏で動いてくれていたみたいだった。その頃から、これはもう俺だけの夢じゃないんだなって。

最後の壁を越えて堰を切ったようにプロジェクトは進み出した。そして誰もが気になる開業資金は、息子の大学進学のための資金として貯めてあった父の口座から出されたもの。

普通なら20歳そこそこの若造が店なんて持てるものじゃない。自分は運が良すぎた。だから最初のうちは怠けてしまったんだと思う。この境遇は多くの敵を作ってしまったのだけども、重要な話だがここでは割愛する。

受けた御恩はキッチリ返す。これが大学行かずに23年間で学んだ事。当たり前のことだけど、大学に行っていたらそれすら辿り着いていなかっただろう。

ここまでの道のりで唯一の心残りといえば、タイトルの響きに限りなく近い、女性経験の少なさか?