2021/01/01

43.ユニフォーム

服にはほとんど興味が無かったせいか、仕事中に着る服はあまり変化がなかった。

開業時はロゴを入れたナイロン製のジャケットに下はジーンズ。最初はスニーカーを履いていたのだけども、毎回の水仕事であっという間にダメになってしまうので、営業中だけサンダル。

ジャケットは青と白を5着ずつ作って、青は作業用、白は打合せなどの時の正装として。何枚かは記念に家族にあげた。

そのスタイルで15年以上やってきて、さすがに汚くなってきたのと、世田谷ベースの「何でもオリジナルで作っちゃう」方針に影響されてパーカーを製作。そに時に生まれたのが不朽の名作「バケずきん」である。

それからはTシャツやポロシャツも作るようになって、多少は仕事着に対する意識が変わってきた。

そして最後は身内中から批判殺到だった鮮蒼のワークコート。コレを選んだ理由は、着ていた人を見た時にその奇抜さから馬鹿にした後、ちゃんとした伝統を踏まえた上での服だった事を知り、その自分の知識の浅さと、見た目で人を判断した反省の意を含めて、自分で着ることにした。というわけ。

ワークコートも2シーズン目で落ち着いた頃、オヤジが白のナイロンジャケットを着て庭仕事をしていた。セブンスのヴィンテージマニアがこんな身近にいたとは。