2015/01/11

出初式待ち時間に書いた文章です


最近、石組をやりたいという相談やメールが多いので今日はその話をします。あくまでも個人的な解釈ですので基本的な定義は踏まえた上での話です。


ミニ四駆やRCのボディを作るときにモデルにされるのはレーシングカーや大排気量のモンスターマシンなどですが、モーターで走るこれらのスケールモデルには当然エンジンはありませんので、巨大なエンジンを積んでいるかのような演出が必要になってきます
大まかな所を上げればV8エンジンが収まるような広いボンネット、冷却のためのインテーク、それと太いエキゾーストです。
これらは実際には存在しない巨大なエンジンを「見えないけど、そこにある」存在にしてくれるのです。

コンテスト上位でよく見る石を使った作品はそのほとんどが石組と呼べるものではないと思います。それらは細部に至るまで緻密に作り込み過ぎて「見る側の創造に委ねる」という日本人独自の高度な感性が失われています。
日本人は掛軸の横に置かれた小さな石で壮大な山や池の風景を演出したり、小さな盆栽を樹齢数千年にも及ぶ大木に見せたりする「スケールモデル」的な遊びで楽しんできました。そんな遊び心と伝統が最近の作品に感じられないのです(あくまでもコンテスト作品内での話)。
緻密に作り込まれ過ぎた石作品はまるでメッキパーツビカビカのハーレーのようで、B級の私にはどうしても恥ずかしく思えてしまいます。

次に、店頭で石を選んでいる方の様子を見るとほとんどの場合、真剣に良い形の物を探しています。残念ながらこの時点でその人の作品は「その人が組んだ」作品ではなく「石に組まされた」作品になっています。その石の形状に魅了された時点で無限にあるはずのオリジナリティがほとんど消失します。
石選びの基準は表面の質感だけで、あとは一通りのサイズを集めればそれでOK。それを持ち帰って「その素材の良い所を見極めて」組み上げ、持ち帰った石を全て使うのではなく不要な石は迷いなく残す潔さも大切です。
そうやって組んだ石組は時間が経つほどに味わいを増し、ゆっくりと自分の物になってゆくのです。

まもなく解体しますが、LYONロッカーに乗っている「世紀の駄作」は石1個で組まれた究極の石組です。私の飽くなき挑戦は続きます。