2015/03/11

非国民の唄

今日で東北震災4年目、それとたしか友人の38回目の誕生日…だったか?

日本全土が鎮魂モード、そりゃあれだけの人が同時に命を落としたのだから仕方ない。だけども俺はどうしてもそれ以外の事を考えてしまう。災害や飛行機事故、同時に多数の人が亡くなった時はニュースなどで報じられて多くの人が祈りを捧げる、だけども世界には誰にも知られることも無く、もっと悲惨な死に方をしている人が毎日のようにいるはずだ。川崎の少年事件も同じ、加害者の年齢や被害少年の笑っている画像のギャップが影響しているのか知らないけど、すごい量の花並べられていた。どうしても「みんな行っているから自分も行ってみたい」という下心を感じてしまう。

誘拐されて山中に捨てられた女の子、人知れず橋から身を投げた少年、そんな現場にもお前らは花を手向けているのかい?メジャーな事件の時だけ鎮魂モードで、その他の人達に悪いと思わないのだろうか?
そうでなければイスラム教のように毎日祈りを捧げるべきだ、日本人に限定したとしても365日毎日誰かの命日なのだから。

宗教間での戦争が絶えないように、信念は人それぞれでどれが正しいという事はない。とりあえず俺は震災の日に「地震の時は津波を意識する」、終戦の日には「絶対に戦争は起こさない」、そんな決意を込めて手を合わせる。それが天国の誰かの鎮魂になるのであればそれでいい。