2012/10/17

サラダバーにあるヤングコーンの存在感

噂で聞いたのですが、このまえ書いたマニアックじゃない方の某とん汁店タイアップのカップ麺が発売されたという事で、それでも食う事はないだろうと思っていたら今日台所の戸棚を開けると2個並んでおりました(私の母は新製品マニアであります)。目の前にあっても何故か食べる気がしない、なんでかといえば本物以上に美味いはずがないからである。

それと同時に何とも言えぬ空しさを感じるのであります、過去何度も食べに行ったぐらいハマっていた店なのに、何でそんな事するんだろう?というショックに近い感情です。ラーメン店(今回は定食屋だけど)から見れば店の名前が入ったカップ麺が発売されるのは大成と言えるほどのすごい出来事だと思う、でもそれはビジネスという観点から見た事であり、そのとん汁を取り囲む背景から見ればかなりのマイナスになるように思う。

「地元の人しか知らないような店のとん汁を食べてきた」と「あのカップ麺の店のとん汁を食べてきた」の2つで、知り合いに話したくなるような内容はどちらだろうか?むしろカップ麺になったような店に食べに行くって恥ずかしく思えないか?当然料理の味は変わらないだろう、でもその奥にあるもっと大事な物を失っているのに気づかないのだろうか?実物よりも劣るものを売り出す行為に俺は商売人というよりも料理人としてどういう気持ちなのか聞いてみたい。

自分のワーゲンを特別に思うのは程度や希少性もさることながら、車検を取るためにわざわざ富山まで行くという背景もその特別感に含まれているのは確か。セブンスに遠くから来てくれた人で「こんな店近くにあったらいいのに」という嬉しい事を言ってくれたこともありました、でもそれは滅多に来ることができなくて、そこまで運転してきた高速代やガソリン代、運転の苦労などが背景にあって、それも加わっての価値観なんです。

古い車やバイクを乗るようになって車両選びよりも店選びの方が重要という事を痛感しています。当然熱帯魚業界でも同じです、コンディションや品揃え、もちろん価格もそうですが、中身と同じぐらい背景も踏まえてなるべくたくさんの店を見てください。セブンスが価値観にそぐわなければ当然蹴っていただいてかまいません、ですがいつかそれに応えられるように努力はさせていただきます。