2013/06/26

セブンスの店名の由来とは無関係です

今日はまだ私が若かった頃の話。

今はほとんどやらなくなりましたが、20代の頃ほぼ毎日のようにパチンコに明け暮れた時がありました。高校3年の時にこの仕事をやる事を決めて、専門学校を卒業してから、セブンスを開業するまでの約半年間無職の時がありました。あの頃のパチンコは今と違い本気でやれば素人でもそれなりに稼げる時代で、私でも朝から夕方ぐらいまで打って日当2~3万円ぐらい、今までの人生の中で最も高収入な期間でありました。
この頃からパチンコもデジタル化されてきて、液晶画面の付いたいわゆるデジパチが主流になりましたが、私の「古い物志向」はこの世界でも例外ではなく、デジタル物にはほとんど興味はありませんでした。その志向がエスカレートしてきて羽根物(ヒコーキ)と呼ばれる機種にハマッたのであります。デジタル物とは違い、玉の動きだけで打ち手を楽しませる仕掛けの創意工夫が最高なのですが、それが古い機種ほど仕掛けの工夫と筐体の作り込みに長けているのです。
たぶんパチンコに画面など無かった時代、いかにして打ち手を楽しませるかの仕掛けを真剣に考えて、少しでも台を豪華に魅せようと手間を惜しまずに作ったのでしょう。それはまだパチンコ業界にも「もったいない」の精神が残っていて、可能な限り長く使えるようにしてあったのだとも思います。現代の発売から3年で廃棄するという意味不明な法律の下ではまず無い事でしょう。
そんな古台マニアとなった私にとって聖地となったのが巣鴨であります、お年寄りの原宿で有名な商店街の端に「天国」という昭和50年代の機種がズラリと並ぶ奇跡のような店がありました。10坪程度の狭くて汚い(味のあるとも言える)店でありながらも全国からファンが勝負ではなく、純粋に楽しむために訪れるというパチンコの本来考え方を教えてくれた最高の店で、わざわざ天国に行くために東京へ行ったぐらいです。それが数年前に施行された「3年廃棄」の法律により閉店に追い込まれたと知って本気でショックでした。
聖地を失って冷静さを取り戻した私はある時を境にパチンコを辞める事になりました。パチンコはどんなにお金を稼げても、それに費やした時間は二度と取り戻す事ができないのです、仮に開業までの半年間、さらにその後の数年死に物狂いでアクアリウムの技術を磨き、店舗設計に従事し、取引先を自らの足で探し回ったならば、今のセブンスは日本を席巻するような店になっていたかもしれません。

だからお金では勝てても、人生には負けています。これだけは絶対に逆転できない事です。

パチンコはお小遣いの範囲で…がオススメですが、人生賭ける貴方様の生きざまも嫌いではございません。