2016/06/28

人間の付加価値ってのは恐ろしいな

今日はこの後に義父、義兄と3人で飯を食うという修羅場が待っていますので夕方のうちに書きます。そこに俺必要か?と思えるような超アウェー戦ですよ、たぶんどれだけ酒を浴びても酔う事はないでしょう。

昨晩はジャニーズのライブのチケット当選か否かで家がザワついていました、まったく興味のない俺にとってはどうでもいいのですが、娘がドハマリしているらしく私財を注ぎ込んでいるのです。何かに夢中になるのは良いのですが、そういうジャンルは消費するだけで何かを生み出す事はないのです。ただ楽しむだけの趣味ってのは共感できません。
例えばスプラトゥーンで常勝できるだけのウデマエになったとしても、結局はゲームのプログラマーの手中から出る事はできないのです。脅威のスゴ技を発動させたとしても、それもプログラムの一つです。 つまり、どんなに真剣に取り組んでもゲームを作った人の思惑を越える事はできないのです。個性的な衣装を選択しても、それも全てプログラム。その世界を超える事はできません。

この考え方は俺がオッサンになったからではなく、たぶん生まれながらにしての感覚で、ビックリマンシールは手垢まみれの紙くずにしか見えなかったし、キンケシも字の消えない消しゴム程度にしか興味が無かった。今となっては捨てずに保管しておけば一儲けできたかなと…。

その頃の俺は川で獲った魚や金魚を水槽で飼っていたものだ、それらの経験が積み重なって今このような人生を送っている。

ただし、それが正しかったのかどうかは知らない。