2021/03/18

93.道程

アクアリウムショップを立ち上げると決めたのが高校3年の春。実際に開業したのが20歳の夏。その3年間は全速力でフルマラソンを走っているような毎日だった。

ゴール地点は決まったけど、何をすれば良いのか見当もつかなかったので、まずは学校に許可をもらって地元のアクアリウムショップでバイトをすることにしたのだが、最初から問題発生で、まず自分の学校は夏休みしかアルバイトを認めていなかった。

そこで生活指導室に行き、将来のビジョンを熱心に説明すると、成績を落とさないことを条件に認めてもらった。

すぐさまショップに行ってバイト受け入れを頼んだのだけども、今は必要ないと断られてしまった。

店の外に出たものの、何か伝えきれていないような気がして、再び店に入り「バイト代要らないんで!」と頼んだら週末だけ雇ってもらえることになった。

卒業も近くなり、進学先をアクアリウム関連の専門学校に決めていたのだが「学費を払ってタダ働きさせられるだけだ」という率直なアドバイスに従って、バイトを続けながら地元の会計専門学校に通うことにした。

明確な目的を持って臨む専門学校生活は充実していた。卒業のための必須科目や取得検定に関しては、学校に直訴して自営業に必要なものに変更してもらった。まさか法人税法まで実践することになるとは思っていなかったけど。

実はこの専門学校生活には「結婚相手を探す」という重要な目標が隠れていて、何故かと言えば、失礼ながらアクアリウム業界で、さらに自営業ともなれば出会いの機会など皆無同然で、出遅れるぐらいであれば学生のうちに決めてしまおうと考えていたのだ。

なので、彼女(奥様)には交際一週間で「結婚前提です」と伝えてあった。意外に聞こえるかもしれないけど、ショップを立ち上げる覚悟に比べたら屁でもないレベルだった(奥様にとっては不運としか言いようがない)。

以上の話はそれでも順調に進んだ方で、一番の壁が「父親」だった。我が家は祖父、父の代と非常に真面目な職業で、姉二人の最後に産まれた待望の長男であった自分は当然のように同じ仕事に就くことになっていたらしい。それがどう間違ってか熱帯魚屋なんぞ目指すと言い出したものだから、将来の話になるたびに喧嘩になっていた。

実は中学3年の時にも同じような事があり、目指す職業は違えど、自分の可能性を否定されて夢を諦めていた。そんな父親が嫌で高校時代は家出同然になり、ずっと一人暮らしをしていた。

だから今度こそは諦めてたまるかと、必死に食らい付いたのだけども、戦況は不利なまま変わる事なく、勝手にアルバイトを始めていたりしていた。

風向きが変わったのは専門学校2年目の時で、急に父親が協力的になり、何が起こったのか探ってみると、父親の先輩やばぁちゃんが裏で動いてくれていたみたいだった。その頃から、これはもう俺だけの夢じゃないんだなって。

最後の壁を越えて堰を切ったようにプロジェクトは進み出した。そして誰もが気になる開業資金は、息子の大学進学のための資金として貯めてあった父の口座から出されたもの。

普通なら20歳そこそこの若造が店なんて持てるものじゃない。自分は運が良すぎた。だから最初のうちは怠けてしまったんだと思う。この境遇は多くの敵を作ってしまったのだけども、重要な話だがここでは割愛する。

受けた御恩はキッチリ返す。これが大学行かずに23年間で学んだ事。当たり前のことだけど、大学に行っていたらそれすら辿り着いていなかっただろう。

ここまでの道のりで唯一の心残りといえば、タイトルの響きに限りなく近い、女性経験の少なさか?